「TEA CREATOR」シリーズとは、お茶づくりのプロフェッショナルがこれまで培ってきた経験と、研ぎ澄まされた五感から創りだされる、個性豊かなオリジナルブレンドティーだ。「TEA CREATOR」に込められたつくり手たちの思いを、その一杯とともにお届けしたい。
後藤潤吏さん(右)、秋林健一(左)
愛知県豊橋市で、無農薬栽培による素晴らしい紅茶をつくる生産者がいる。就農からわずか3年で国産紅茶グランプリに輝いた、「ごとう製茶」四代目・後藤潤吏(ごとうひろさと)さんだ。
2021年最初にお届けするTEA CREATORシリーズは、その稀代の紅茶生産者である後藤潤吏さんと、茶葉の鑑定と買付に多くの経験を持ち、荒茶づくりから自らの手で仕上げた紅茶「#3 スクエアスリー」を生み出した秋林健一とのコラボレーション。前編では、後藤さんにものづくりに対する強い思いや、家業を手伝い始めた頃のことをお話いただいた。
ものをつくりたかったんです、お茶をやる前から。
幼少期から、「将来なりたい職業などは特になかった」という後藤さん。生きる意味がみつけられない毎日の中で、画面越しに出逢った一枚の絵に衝撃を受け、その日から何もかもが一変したという。
後藤:ものをつくりたかったんです、お茶をやる前から。そのきっかけは、十代の頃に岡本太郎の絵をみて、衝撃を受けたことでした。
その時までは生きる意味もわからず、もう死んでもいいと思っていました。そんな中で岡本太郎の絵に出逢い、強い衝撃を受けて、生きる意味がどうとか、様々な物事が一瞬でどうでもよくなった。その衝撃が何だったのかを追求することが、一番のテーマになりました。
24歳頃までに自分の中でだいたいの整理がついて、じゃあそれに対して、あの衝撃を受けた体験を元に、自分は何をやるのか。音楽をかじってみたり、絵を描いてみたり。そういうことをずっと繰り返していました。
撮影:後藤潤吏さん
最初は、「ちょっと手伝い」のつもりだった。
「元々は、家に入る気は一切なかった」という後藤さん。大学卒業後に一般企業に就職するも、家業の手伝いをする形で27歳にして初めて茶業に携わることになった。生葉を触るのは全くの未経験だったという。
後藤:2012年の夏、春に摘む一番茶が終わり、忙しさのピークが過ぎた頃に、「ちょっと手伝い」というような、軽い感じで家を手伝い始めました。
うちは無農薬なので、二番茶が採れません。気温が上がる夏季は大量に害虫が発生するので、一般的には農薬などで防御して二番茶をつくりますが、農薬を使わないので虫による害で芽が傷み、ほとんど収穫できなくなるんです。
そこで、両親(ごとう製茶三代目・後藤元則さん、紀生子さん)はその時期、紅茶づくりの一日体験会を開催していました。
まず茶の木を深く刈り込んで、ほぼ葉っぱがない、虫が住めない状態にしておきます。そうするとまた秋に収穫できるんですが、その間も少ないながら芽が出ます。その芽は機械で刈るほどの量はないのですが、手摘みすれば採れる。その葉を使って、体験会用の紅茶を準備するのが最初の仕事でした。
茶葉を収穫して、摘んだ生葉をしおらせる「萎凋(いちょう)」という工程までをあらかじめこちらで用意し、翌日体験にいらしたお客さまがご自身で葉を揉んで、紅茶に仕上げます。
参加した十数人分を一度に並べてテイスティングすると、揉みが違うと全然違う紅茶になることがわかる。この体験会を通して、「何かしら最適な条件があるんだろうな、色々試してみたいな」と思うようになりました。
撮影:後藤潤吏さん
後藤:お茶をつくり始めて半年経った頃、「あ、これ使えるな」と、気が付きました。音楽や美術から受ける衝撃と同じものを、お茶で生み出せるんじゃないか。そういうスタンスでお茶をつくろう、と。その頃から、製茶に関する記録を付け始めました。自分が受けた衝撃をどうやったらお茶で表現できるか。そのためにはお茶の知識が足りなくて頓挫する訳にはいかなかったんです。
それからはどんどんお茶づくりがおもしろくなっていって、一晩中寝ずに研究しているようなこともありました。それでも完全にこの世界に入るかどうか、覚悟を決めるまでには時間を要しました。
確信できるものは、自分の体験からきます。自分の体験の元で確信が持てるものならば、本気で取り組める。唯一絶対続けられるものになる。僕は、自分が受けた衝撃の結果死なずに済んでるんで。それだったら命を懸けられるっていう、そういうものづくりがしたかった。
2013年の途中からだんだん実現できそうだという気持ちを持てるようになって、その年の終わりには、全精力をお茶に注ぐ決断をしました。そして2014年から、急に製茶の記録が細かくなっていきます。
心が決まったからですね。
「はい。」
きっぱりと答えた後藤さんの笑顔が、強く印象に残った。